カルデラの海が育んだ 美しい日本の面影
後鳥羽上皇、後醍醐天皇の御流の地として知られている隠岐は、古くから隠岐国としてその名を本土に知られていました。
特に、ここ西ノ島の最高峯・焼火山は修験者の霊場として社殿が営まれ、焼火権現と称えられて全国の船人たちの信仰の対象となっていきました。夜に渡海した後鳥羽上皇が神火によって事なきを得たとされる伝説を、歌川広重も浮世絵「六十余州名所図会」に描き残してますが、カルデラの内海が、風待ちの船の港として好まれ、その中心に位置する焼火神社の灯明が航海の目印を担ったために、船の守り神として、古く全国に知れわたったのです。
大陸との海上交通の要衝でもあった古い歴史の西ノ島には、カルデラの内海が育んできた美しい日本の面影が、
今も大切に伝えられています。
一見の価値あり 古来から伝わる祭祀
西ノ島では古くからたくさんの神様を祀ってきました。
現在もおよそ14の神社がありますが、神社の数だけ神様がいて、どれもユニークな祭りばかりです。
彩りに溢れた美しさや海の勇ましさを感じさせる祭りの数々は、まさに日本海に浮かぶ離島だからこそ残されてきた祭祀。一見の価値ありです!
海がつくる暮らしの物語
西ノ島に来ると、海が豊かであるということを本当に実感できます!
マリンスポーツや釣りも魅力ですが、町を歩くだけで、いたるところで素敵な出会いが待ってますよ。
海にまつわる伝説の代表格が、由良比女神社。
毎年10月29日の夜に行われている神帰祭は、由良比女神が出雲の神在祭から烏賊に乗ってお帰りになる祭儀ですが、その夜は必ず由良の浜に烏賊の群が現れると言い伝えがあります。
実際、昭和の中ごろまでは冬になると烏賊の大群が由良湾の入江の奥まで押し寄せてきたのを、島の人たちが待ち構えて、手ですくっていました。
ここだけの遺産!
西ノ島には、歴史の希少な遺産が保存されています。ここでは、二つばかり、紹介します。
一つは、国の重要無形文化財に指定されている和船“ともど”です。
丸太のくり抜き材を使って底板と貼り合わせた古代から使われてきた漁船です。波揺れが少なく丈夫で、岩礁や浅瀬にいる貝や藻などの採取に使われていました。焼火神社で一雙だけ保存されていた貴重なものですが、現在、西ノ島ふるさと館(別府港)に展示されています。
もう一つは、天空の放牧地を散策すると出会う古い石垣群です。畑作と牛馬の放牧を4年周期で繰り返した世界でも例のない究極の有機農法と言われる牧畑の名残です。定かではありませんが、1000年ほど前から伝えられ、島の暮らしを支えてきたのでは・・・と考えられています。
春夏秋冬 それぞれの風景
西ノ島の魅力は、春夏秋冬それぞれでまったく違った味わいがあることです。
大陸からの季節風が厳しい真冬が近づくと、島の人たちは気もそぞろ・・・待ちに待った岩海苔の季節。
荒波うちつける岩場に出て、自生する天然ものを自ら手積みで採取します。
あまりにも美味しいので家族で食べてしまうために、なかなか市販されることがありません・・・観光で来た人が食する機会は、島の人とお友達になるのが一番の近道かもしれませんよ!
冷たい潮に洗われた滋味豊かなこの海の恵みは、極力、磯の香り強い素材の味だけで食するのがコツなのです!
絶景の島を旅する
驚きの絶景が広がる西ノ島、ここに育まれてきた文化もまた、日本の長い歴史とともに歩んできました。
日本海の旅情・・・この言葉は、まさに西ノ島のためにあるようなものですね!